医師の過労死 家族会

発足にあたって

中原のり子

都内の民間病院に勤務していた、亡夫・利郎は1999年夏、「少子化と経営効率のはざまで」という文書を部長室の机の上に置き真新しい白衣に着替えて、勤務先の屋上から投身自殺しました。享年44歳。小児科部長代行を拝命して、半年後のことでした。

「経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、その名に値しない救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。」《少子化と経営効率のはざまで》(http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/index.html)

夫が部長代行になった時、6人の小児科常勤医のうち男性医師は夫1人だけでした。前部長が定年退職。50歳代の医師が両親の介護と仕事が両立できず病院を去りました。さらに半年の産休から戻る予定だった医師は、病院から「月4回以上の当直の出来ない医師は辞めて欲しい」と、リストラで退職を迫られて、3人の医師がほぼ同時に退職しました。スタッフが半減した状態で部長職を引き継ぎ、未成熟な医療労働システムや診療報酬の軋轢の中で苦しみました。さらに24時間365日小児科単独の診療体制の下、経営効率を上げるように上からのプレッシャーが重くのしかかりました。

夫は個人的な事情で死んだのではなく社会的な問題があると確信しました。私は彼のメッセンジャーとなると決意して顔も名前も公表して、未完成な医療提供制度の様子を伝えてきました。夫が亡くなってから25年目にして、息子さんの死が、働き方に問題があると声を挙げた高島医師のお母様と【医師の過労死 家族会】を結成しました。

2024年4月からの医師の働き方改革が始まります。17時過ぎからの仕事は研鑽時間にして、隠れ残業時間は増えることは無いでしょうか?地域医療提供体制の確保や一定の期間集中的に技能向上を図るという目的から、特例として1860 時間という上限時間が設定されます。一般労働者の過労死ライン(月80時間)の倍働けるシステム。医師だけが特殊に体力が優れているのでしょうか?

安く長く働ける人材を養成するために女子学生や多浪生排除の動きもありました。今は女子学生も増えてきて、海外のように女性医師の活躍を期待したいところですが、女性医師も男性医師も健全に働き続けることの出来る社会が、患者さんの医療安全の為にも必要なことです。医師の働き方改革が過労死を生み出し続ける温床となるなら看過できません。

これまでに多くの医師が過労死やバーンアウトで臨床を離れざるを得ない現実があります。志高く医師になった人たちが、今後私たちのように哀しみの家族にならないように社会的なシステムを構築することが私たちの望みです。

以上

医師の過労死 家族会

発足にあたって

髙島淳子

「優しい優しい上級医になりたい。」──晨伍は、この希望を胸に・・・あえて優しいを二回繰り返し話しており、とても印象深く胸に残っております・・・兵庫県神戸市の甲南医療センターで消化器内科の専攻医一年目として、患者さんの命を救うべく使命感をもって勤務していました。

しかし、2022年4月下旬から、晨伍の顔つきが暗くなり、趣味や楽しみが失われていきました。GW明けに晨伍は、「2月から土日祝も連休もなし、院長の通達で残業はつけられない、帰りが23時になる。」と言いました。「俺は20時間働いた、年に5日しか休んでいない。」と自慢げにいう上司の話をしながら、「自分は優しい優しい上級医になる。」と真顔で話す晨伍に対して、「素敵!!お母さん、楽しみにしているよ。」と喜ぶ私に、照れた晨伍の顔を忘れることはできません。

その後、晨伍は「楽しいことが一つもない。」、「しんどい。誰も助けてくれない。」と嘆きつつ、「今朝変な気を起こしかけたけど、もう起こさへんから安心して。」の私への最後のメールの通り、朝に未遂をして、思い直して出勤、定時まで勤め上げ、その夕方、自ら命を絶ちました。上司らは、その朝に晨伍の首に未遂の痕跡があるのに気付き、どうしたのかと尋ねると、本人は「寝ている時にひっかいたと。」と答えたと、後に私たち家族に話しました。

甲南医療センターでは、十分な労務管理が行われていない現実でした。晨伍は同期もその一年上もおらず、時間外労働が月に200時間以上も課せられるという過酷な労働環境にさらされ、精神障害を発症し、最終的には自死に至りました。労災認定を受けたとしても、心優しい晨伍は二度と戻ってきません。病院にとって医師の代わりはいくらでもいるのでしょうが、私たち家族にとっては、泣いて笑って大切に育てた、かけがえのない宝物なのです。

労務管理も出来ず、そこで働く医師、職員を守れない病院、上層部の医師らに、患者を守り救う資格はあるのでしょうか。社会的責務ある医師であっても、生身の人間であり、人の命を預かるという重責ある職業だからこそ、より慎重な指導や労務管理が必要です。2024年4月からは医師の働き方改革(医師の時間外労働規制)が始まりますが、今なお月200時間以上の時間外労働による過労死が発生しています。このような悲劇が繰り返されないために、甲南医療センターには今回の事案に真摯に向き合い、誠実な対応を望んでいます。

晨伍はもう、優しい優しい上級医になることも、患者さんを救うこともできません。愛する晨伍を失って心から血を流し、自責の念に駆られる日々が続いています。しかし、中原のり子さんをはじめとする同じ過労死遺族と共に、気持ちを分かち合い、支えあう心の救いを見つけました。労災認定の取得と、その後の病院との交渉は、遺族にとって大きな重荷で苦難の連続でした。一部の方からは「親が子どもを守るべき責任を、病院に押し付け見苦しい」、「無理やりレールを引き、逃げることを教えなかったが悪い」、「専攻医は激務で当たり前、辛抱がない、不適格」と言われたこともあります。

しかし、晨伍の働きぶりを知る人から、髙島先生はプロ意識があり、医師が天職だと思われる、将来が楽しみな先生であったと言われたこと、そしてある医師には、医師国家免許を取得した人間に辛抱がないなんてことはない、医師は様々な性格、優しい厳しい、強い弱い、様々な医師がいて、様々な患者が救われると言われ、傷ついた心は救われました。

かくいう私も、今まで過労自死の方のニュースに、死ぬくらいなら逃げればよいのに・・・と思っていた人間です。他人事だと思っていたことが自分事になることを知りました。ただ今回、医師の過労死は、個人の問題ではなく、社会の仕組み、医療環境、労務管理に起因することを知りました。残された私自身がこれらを訴え続けていかなければなりません。

1人の力だけではこの問題を解決することは難しいでしょう。そのため、中原のり子さんと共に「医師の過労死 家族会」を結成する決断をしました。この会は、会員の労災早期認定と遺族補償、医師の労働環境の改善を求め、同じ苦しみを味わう人々が今後出ないように、遺族たちが主体となって行動する団体です。医師の過労死ゼロを目指し、より安全な労働環境を求めて、粘り強く前進します。

過労死はあらゆる職場で発生していますが、特に医療業界では自己犠牲を払いながら過度に献身的に働くことが当たり前になっており、管理者による監督もなされず不当な労働環境が起こりやすい状況です。加えて医師の働き方改革が開始されても、実態と乖離した「宿日直許可」の乱発や年1860時間の残業が認められるようでは過労死をゼロにすることはできません。

若手医師や医師らの家族、社会全体が、自分の身を守るため・これからの日本の健全な医療を保持するためにも、これらの医師の働き方や過労死に対する正しい知識を持つことが必要です。患者を癒すにはまず医師らが健全でなければなりません。命より大切なものはありません。自分やそして大切な家族、そして患者の命を守るためにも、医師自体が働くために命を落とすことがあってはなりません。医師の過労死防止活動に協力してくださる方々、是非ともご参加ください。財政的な支援も大変有難く感謝致します。

医療、行政、社会が手を取り合い、病院の労務管理の改善が今後履行され医師らの労働環境が改善されることを切に希望します。これこそが晨伍が命を懸けて、身を挺して投げかけた、究極の優しい優しい上級医になるという希望につながります。医師の過労死ゼロを実現するために、皆様が共に考え進んで下さることをお願い申し上げます。